ふるさと再発見

ふる里・総社圏域の歴史的な事象・事物を取り上げ紹介します。


画 聖 ・ 雪 舟


 和尚さんに叱られてお寺の柱に縛られ、涙でねずみの絵を描いたという逸話で有名な画聖・雪舟、姓は小田氏、いみなは等揚、号は雪舟、雲谷、備渓斎といいまして、備中赤浜(現岡山県総社市)の生まれです。

 雪舟の号は、元(げん)の名僧楚石梵き筆の「雪舟」二文字より、自ら雪舟と号したという説と、明の皇帝憲宗(1465〜87)が雪を積んだ舟がきた夢を見たところから、雪舟と号したという二説があります。

備中赤浜出生説は定説となっていますが、赤浜のどの辺りかということになりますと、「鷺ノ森(市内上林)鴻ノ橋よ り東、窪木より5町ばかり東、高塚村に雪舟屋敷といって榎など有、亦は同所田中村ともいヘリ」と、宝暦3 年(1753)に石井了節が述べています。それから椎察しますと、@赤浜の田圃の中に昭和14年(1939)5 月21日に建立された山田準(山田方谷の孫)の撰文になる雪舟碑のある地 Aこの碑に対向して国道180 号の南側に、皇紀2600年(昭和15年)明治節(11月3日)に建立された徳富緒一郎(蘇峰)撰文になる雪舟碑のある地 B田中(岡山市田中)新福 寺付近とする3か所が、誕生地といわれるところです。この3か所は、いずれも岡山自動車道の岡山総社インターチェンジ付近にあたります。

 死亡年月日は、永正3年(1506)8月8日、87歳が定説でありますが、本朝画史は文亀2年(1502)83歳となっています。

 死亡地は、周防(山口市)の雲谷庵、石見(島根県益田市)の大喜庵(東光寺)、備中(岡山県井原市)の大月山重源寺の三か所があって、定説はありません。

 次に本朝画史および、これを原典として作られました井山宝福寺雪舟碑の碑文にかかれている雪舟の井山宝福寺入門と、涙で描いたねずみの絵の逸話については、確証がなく、また、これを否定できる確証も発見できませんが、否定説が有力であります。この雪舟碑は、文化14年(1817)に八田部の豪商・亀山つつむ(道本、元戎屋)が頼山陽(国学者)、藤井高尚(吉備津宮神官、国学者)に依頼して碑文を作成し、これに雪舟自画像、三井家所蔵の「育王山之図」を配した原画ができあがりましたが、実際に碑として建立されたのは昭和3年3月18日です。現在も井山宝福寺境内に石碑はあります。

雪舟生誕地の碑(岡山県総社市赤浜)                            

参考文献  総社市史、総社再発見(細谷孫市著)他


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