ふるさと再発見

ふる里・総社圏域の歴史的な事象・事物を取り上げ紹介します。


鬼ノ城、新山


 鬼ノ城と新山は標高約三百メートルから三百五十メートルの山地であります。鬼ノ城は、百済の王子、温羅(吉備冠者、火車ともいう)とイサセリヒコノミコト(後に吉備津彦命という)の伝説から生まれたといわれています。桃太郎鬼退治の伝説の発祥の地として名高いところです。

 最近になって、この鬼ノ城は南西に約ニキロメートルの石塁と北西に約ーキロメートルの土塁をめぐらし、水門五か所をもつ朝鮮式山城であることが確認されました。

 温羅の名はともかくとして、朝鮮系の技術者によって築造されたことが分かり、伝説が単なる伝説でなく、ある程度の真実性があることがあきらかになったのです。そのうえ、この付近には新山、黒尾、服部、久米など古代帰化人や部民に関係ある地名が残り、阿曽には古くから砂鉄による鋳物業が盛んであったことや、南には全国第四位の規模を誇る造山古墳や作山古墳、こうもり塚など大小古墳が存在することなどから、これらの関連性を解明することによって、吉備文化の中心である総社の古代史解明に大きな光明をあたえるものと期待されています。

新山付近は文武天皇(六九七〜七○七)のころ、天皇の皇子(後に善通大師という)によって開かれ、三十八坊の寺院が存在したといわれ、いまでも岩屋寺ほかたくさんの寺院跡の礎石が各所に散在しています。文献上でも平安末期に成尋阿じゃ利(藤原の貴族の出身で仏道修行のため宋に渡り、彼の地で没し、善恵大師の号を贈られた高僧)が宋に渡る前、約百日間新山の寺で修行していますし、定秀上人という高僧が十二年間新山の寺で修行して、一○七六年に死去していることがみますので、平安時代末期に新山が西国第1の仏教道場であったことが分かります。その後、戦国時代に至って、全山の寺院がほとんど戦禍のため焼失し、現在、阿曽の能満寺、延寿院、金福院、観音院の名で残っています。

鬼 ノ 城(19018 バイト)

鬼 ノ 城

参考文献  総社市史、総社再発見(細谷孫市著)他


ふるさと再発見メニューに戻る

そうじゃ知識の泉のホームページへ