そうじゃおいたち物語

6章 鎌倉時代


平氏滅亡後、源頼朝によって、樹立された武家政権の鎌倉幕府は守護として地頭を置いて、地方の支配体制を確立したのですが、備中の守護は最初土肥実平が備前守護とあわせていました。その後の沿革は明らかではありませんが、弘安二年(一二七九)前後ころに備中守護が北条氏得宗家であったことはわかっています。その後は恐らく北条氏一門の誰かが守護になったと思われます。

地頭についても明らかでなく、荘民がこの地方の地頭ではなかったかと推測できますが、確証はありません。

この守護、地頭の設置によって、国司の力がまったく名目だけとなるに及んで、当地方も地方政治的町から性格が次第に変化して、松山街道筋の宿場町的性格と総社宮の門前町的性格を加味したものとなっていったのです。

仏教方面では臨済宗東福寺の開山、円爾弁円(聖一国師)の備中巡錫によって、貞求元年(一二三二)名僧鈍庵によって開かれた井山宝福寺が天台宗から臨済宗に改宗して、広く臨済宗をひろめ末寺三百余を開いています。


7章 室町時代(南北朝・戦国時代)安土・桃山時代へ

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